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スノーボードのシーズンを閉じる(3月31日)! 

 ホワイトデーには早くも桜の便りが横浜から届き、近くの桜並木も開花はまもなく。 そしてボードシーズンが終わる。
 春分の日を含む3連休は札幌国際スキー場に、そして引き続いて最後はキロロスキー場で締めくくることとした。
 しかし、目当ての3連休(3/20-22)は暴風雪の予報。急遽、日程を早めて「ANAシニア空割(片道10,000.-~15,000.-)」を利用して札幌国際スキー場に出かけた。 
 田中先生、河合先生、そして昨年の最後に一緒に滑った木村佳代先生にも会えて楽しいボードの日々を過ごした。
 今回は木村先生ともっぱらグラトリの習得に励んだ。
 残念なことに成果を記録する予定のカメラは充電不足で使用不能。写真は無い。 この年末に再会を期待して。

 3月中旬は札幌国際だけだったので、3月末はキロロリゾートに行く。
 温かくなった東京とは別世界で、初日のバスのフロントグラスは雪で覆われ視界はワイパー部分のみの吹雪。しかし午後からは少し晴れて新雪を楽しんだ(深雪の林はまだ難物で楽しさはこれから)。
 ドイツ人のディノは日本在住4ヶ月で日本語はほとんどだめ。グラトリの説明も知らぬ間に英語に代わっている。 特に”Front side 180(空中で半回転)”などの回転技での視線の定め方が参考になった。
 ただ、ティノは林間の深雪の滑降が好きらしく、ついついグラトリを離れてハードな遊びに入ってしまうので、1日にして3日分は疲れた。

 翌日、降雪後の快晴、狙い通りの最高の条件になる。
 近年、スキー人口は減少し、道路の混雑が無くなったが、この日のスキー場までの車の列の連なりは、久しぶりというか20数年ぶりかもしれない。
 オーストラリア人のベンが声を掛けてくれた。実は昨年末、いろいろ教わったが、私のことを覚えていてくれて声をかけてくれた。 それで午後はベンから学ぶことにした。 
 グラトリ、エァ、そして特に壁やオープンハーフパイプを利用した遊び方にチャレンジする。
  
 新雪、パウダーの、季節的には信じられない位好条件の積雪でほぼ快晴の楽しい時間を過ごしたが、お陰ですっかり乳酸が溜まってしまい、天候の悪化もあり、迷ったが結局は切り上げて東京に戻ることにした。

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上杉鷹山と「為せばなる」を訪ねて

 米沢での一日はNHK大河ドラマの影響ではなく、上杉謙信や直江兼続よりも、上杉鷹山を訪ねたと言えるかもしれない。
 上杉謙信が毘沙門天の「毘」を旗印にしたように直江兼続の兜の前立の「愛」は軍神の愛染明王か愛宕権現から「愛」にしたものと理解されているのに、時代迎合、観光政策?からか仁愛や愛民、LOVEにすり替えられた話には興味はなかった。
 
 鹿野が幼時の思い出として最も強い印象を持っているのが祖母の寿美恵婆さんである。寿美恵婆さんは助産婦として戦前、戦中、戦後を働き、貧しい人には助産料を受け取らないばかりか、物資不足の中で衣服などいろいろな物を届け、多くの人から感謝されて生涯を送られた尊敬される素晴らしい方である。
 その婆さんが孫達に教えるため半紙に毛筆で格言を書いて、孫達の目の高さに貼っていた。その中で唯一今なお深く記憶に留まるのが
          「為せばなる。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬゆえかな」である。
 これは“上杉鷹山が窮乏し壊滅寸前の米沢藩を立て直す際に、藩の武士階級や藩民に対して立て直しの心構えについて説いた有名な言葉である。ケネディー大統領もこれを座右の銘にしていたらしい”。

 

 “この言葉は「なさねばならぬ」という使命感と「為せば成る」という意志力の大事さを言い得て妙であるが、兎角、何でも新しいことをやろうとすると、何かと反対する者や抵抗する者が現われる。こうして、実行もさることながら思うようになかなか実現出来ずに苦労する。人が暗い夜道や暗いところを怖がるように、元来、目に見えない事象というものに対して一抹の不安を抱き躊躇心が生じるのは人間の常で、どうしても変化とか挑戦というものより、よく分っていて安心な「今のまま」という保守を選択しようとする”。 
 “従って、そのような人たちに「なさねばならぬ」という使命感を抱かせ、「なせば成る」という強烈な確信的意志力を植え付ける”こと。
“ ”内は以久遠氏の Beauty,Business & Favorites ビジネス 71(04-11)/ 2004.から引用(Supplement : http://homepage3.nifty.com/~bbf/041102.html)
  
 「為せばなる・・・」の石碑の前で、良かれ悪しかれ我が人生の原動力となった格言に対面したひとときがあった。 寿美恵婆さん、ありがとう。
 上杉鷹山を祭る松岬神社が質素なのも印象的だった。今の時代、直江兼続もいいが、上杉鷹山に学ぶ姿勢も求められているかも。 

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天元台光源スキー場でスキルアップ! 
 
 3月10,11,12日は山形県米沢市天元台高原スキー場に行く。10日午後東京発で13日は米沢市上杉家資料の見学にした4泊5日。このスキー場は米沢市の南、磐梯朝日国立公園の一角、吾妻山(2,035m)の山頂からの尾根にある標高2,000~1,300mのスキー場で、古くは硫黄採集の集落だったところをスキー場として開発された。高度のため北海道と同じく積雪期が長く雪質も良いが、山麓の白布温泉湯元からのロープウェーが唯一の道である。そこでスキー場での滞在は天元台ロッジ(ゲレンデ横)かゲレンデを見降ろすペンション村(10軒位)に宿泊する以外は、白布温泉からのロープウェーの運行時間に左右されてしまう。
 今の季節、天元台高原スキー場は午後5時半でも明るいが、リフトは朝早くから動くが4時に止まり、ロープウェーは4時半の次は6時半の最終便まで無い。今の時期のリフトは9時半から5時半がいいのにと思うが。
 宿泊は天元台ロッジの3階、5人部屋(トイレ、洗面場付和室、24時間大浴場あり、リフト1日券込で、2食付が9,500円/泊)を1人で宿泊。
 ここは標高2,000~1,300mで、ロッジの標高は1,300m。予期せず高地トレーニングになってしまったことに気が付いたのは、やや体調が違うように思った夜だった。 



 10日夕刻に到着、ボードテクニックの本を勉強し、米沢の資料を読んで過ごす。
 11日、濃霧の悪コンディションなので、技術指導のレッスンを申し込む。
 須藤伸先生は、ボードがスノーサーフィンと呼ばれた頃に始められ、スノーボードの草分け的先輩。
 その須藤先生が新しいターンを教えると言う。私にとって今までのフリーランのターンと「真逆」と言え、初めは両方の方法が混乱してチグハグになってしまった。しかし、須藤先生の本職が根気の要る造園業のせいか、東北の人の特性か、本当に繰り返し丁寧に指導して頂いた。さらにその夜は部屋でシュミレーションして復習した。 
12日、予報通り、狙い通りの雲一つない快晴、無風~微風、そして暖かい(下りのロープウェー乗り場で+7℃)一日となった。天元台では滅多に無い好条件。
 まず、昨日の復習で合格。いよいよ天元台高原の全ゲレンデ制覇のため山頂に向かう。

 山頂からは上級者向けの傾斜が二面あるが共に新しい滑走法で緊張もせずに綺麗に下り、新しい滑走法をほぼ習得したと自信を持つ。さらに天元台で最も斜度の大きい斜面、ここは誰もが最初は腰が引けてミスをするという斜面を何の無理もなく気持ちよく滑り下りて新法は合格、「完璧」と評価された。ヤッタネ!
 新滑走法と従来の方法との差は体力の消耗度にある。従来の方法はバッヂテスト向きの上下運動を取り入れた動きに対して、新しい方法は「かかえこみターン」と呼ばれた技法に近い。一日を終えてほとんど疲労感が無く、力を使っていないことに気づき、極めて実践的な滑走術とそのコツを教えられたと気づく。何でも技術は常に進歩していることを実感。 いや技術ではなくて、ボードが進化した分、高い技術が無くても楽に滑れるようになったということか。
 

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「漢方研究」イスクラ奨励賞

「漢方研究」イスクラ奨励賞(2,009年度)の講演会と授賞式がイスクラ厚生事業団により平成22年3月7日に開催された。
 今回で第34回となり、毎回3名なので総数は100名を越える受賞者になる。
 今回は兵庫県立尼崎病院・東洋医学研究室の西森婦美子主任医師、太田原赤十字病院・整形外科の吉田祐文医師、北里大学北里生命科学研究所・和漢薬物学研究室の矢部武士研究員であった。
 西森(佐藤)氏は漢方臨床研修カリキュラムを構築して研修医にRA治療を通して教育し、また京都大学病院のポリクリ担当者として普及教育を行っていることが高く評価され受賞された。氏はRAを虚労病と位置付け、「不栄則痛、不通則痛」から気血水の滞りを通じさせるために滋陰降火湯を主に治療を展開しておられる症例提示も行われた。
 吉田氏は3次救急病院の整形外科に勤務されているなかでも、術後愁訴が遺残する患者に漢方治療による著効例を経験してから「悠々として急げ (Festina Lente)」を掲げて積極的に漢方治療を導入し、漢方治療を無視する整形外科領域の学会に一石を投じ、漢方治療を普及する努力が評価されて受賞された。
 矢部氏は「うつ病、認知症」に対して加味温胆湯の臨床効果を裏付ける薬効薬理学的な実験研究を展開され、記憶・学習能力の改善作用をChAT活性や申請栄養因子(NGF)mRNA発現量から確認した。さらに加味温胆湯の臨床試験との相関も検討された。また、配合生薬の役割にも研究を発展させたことが評価されて受賞された。

 思えば鹿野が北海道薬科大学助教授時代、突然、「漢方理論と関連つけた薬理学的研究」で第○回イスクラ漢方奨励賞(当時は奨励金)受賞の連絡を頂き、マイナーな世界の、さらに反主流の方針に取り組む者を見つけられたのか寝耳に水の驚きであった。その上、当時、全く面識の無かった東京薬科大学教授・川瀬清先生のご推薦を頂いたと知り感謝の念で一杯になった。
 そして奨励金でNECのパソコンを購入し研究室員のデーター処理と記録に共用したのを覚えている。
 また、北海道薬科大学で私を支えてくれた牧野利明講師も名古屋市立大学講師に赴任後、北海道薬科大学時代の研究でイスクラ奨励賞を受賞された。