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      ペナン探訪

 マレーシァは長期滞在ビザの制度や衣食住環境に恵まれ、物価も安く、地上の楽園とも言われている。ピナン島はイギリス領時代の街が世界遺産となった。そこで医薬・食品資源の調査も兼ね、さらにいとこ訪問に出かけて行くこととした。
 ピナン探訪数日を記録したい。
[おおとかげ] ペナンの街中、人通りの無い道の前方に黒いものが横たわっていた。
おっと…あれはオオトカゲ・・・・まさかのオオトカゲ・・・・。 近づくと素早く走り溝に飛び込んだ。
 近くのゴルフ場の入口の木陰にも居た。ペナンではオオトカゲが身近に居る…(食べると鶏肉の味らしい)。
[世界遺産・ジョージタウン]: 中国ハルピンの中央街はロシア風の建築が多く、それぞれの建物は保護され安易な商業的改造は認められていないため素晴らしい街路景観として保存されている。
 この世界遺産のジョージタウンでは…。リキシャに乗って遺産巡りをするが、表面がエアコンの室外機だらけの建造物もあり、補修されず朽ち果てている住宅も多く、地域を遺跡として保存する意識には少し疑問が持たれた。 

 写真-世界遺産の建築物 スライドショーとして入れる

[民宿] 港の近くに水上生活者の村があり観光地になっている。  各家々は入口を開け放しているので通路を歩くと家の奥から裏まで、ごろ寝する人が見通せる開放感で、プライバシーは希薄。その中の一軒は民宿(HOME STAY)で、気楽に部屋を見せてくれた。

 主人の女性が中国系マレーシァ人と聞いて、会話を英語から中国語に切り替えたら「日本人が中国語を話す」と大騒ぎ、家族(夫と娘三人、息子一人)の話などで盛り上がった。「次は必ず宿泊してね」と言われて帰った。
[ハイキング]:ペナンではシーカヤック、カヤックのジャングルツアーを楽しむのが目的であった。しかし、日曜日はLaw氏に誘われてジャングル縦断、植物観察の登山となった。ところが全体に早足で歩くばかりになり、女性は遅れ、植物に詳しい人も息切れがして、私に説明する余裕もなくなって植物観察は0に近い。残念。 
 しかしペナンは蛇寺にはヘビが、駐車場の横には猿がいて、ある寺院の前の店で小鳥を買って放すと幸せになるといい、蝶々の園もある自然豊かなところである。

 蝶スライドショーを入れる

[食事]ババニョニャ料理のotak otak(オタオタ) : 交易が盛んになった時代の中国婦人の作る中華料理が現地風に変化した。それをババニョニャ料理というそうだ。
 特にビルマ通りのHOT WOKという店のオタオタは有名らしいので食べに行く。オタオタは魚と野菜を卵で絡め実芭蕉の葉で包んで蒸したオムレツ風中華料理で、すこしピり辛がマレー風。全体に料理はまあ中華料理であり、南国なのでスパイスが効き、辛味で、特に火鍋(=熱鍋:辛いシャブシャブ )が人気のようである。
 [言語]  古く交通・交易の要所(港)であったため、多民族社会であるが、当然マレー系優位で中国系などへの差別はある。言語は英語由来のManglishだが、英語を発音通りにアルファベット綴りするものがある。まあ驚くことはない。日本のカタカナ英語と同じである。例えばbusはbas、telephoneはtelefonと表記する。
タクシーの表現はtekxi, takxi、taxiなどいろいろあって何でもOK。 写真はスクールバスの表記
 会話は肯定文の最後にIs it?と付けても付けなくても質問になる。You can ….が質問で、Can not.と答えている。語尾の発音がしばしば上がり、日本語の…ね、…よ、等に相当する中国語由来の語尾が多い。会話の要はその場のリズムであり、雰囲気であって、難しい文法は他民族社会には不適。
 これがManglish。そこでManglishは英語由来だがManglish会話に慣れた時、普通の英会話力が崩壊する。
[通貨] ホテルで両替を頼んだら「街の両替の方が比率がいいが」とわざわざ確認された。そして観音寺の前で理由が理解できた。寺の前の通りは民間両替商(インド人が多い)で一杯。しかも世界各国のお金の見本が一面に貼られていて自由に両替できる。比率はホテル等の公的両替よりも10%は良い。さすが交易の地、他民族の地である。

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     文化の日イベント
       スノボー向け足腰の鍛錬と文化活動として
 「赤穂47義士は吉良邸に討ち入り後、泉岳寺まで凱旋行進した」という。その時、堀部金丸弥兵衛は赤穂義士の最高齢77歳であった。
 
義士は鎖帷子を着込み、兜を被り、槍や刀で武装している。そこで「高齢の堀部弥兵衛が討入り後の武装のまま両国本所の吉良邸から高輪の泉岳寺まで10余kmを2時間で歩く」には疑問を呈されることもある。負傷者は駕籠に乗っているので、高齢の堀部弥兵衛も乗せられたかもしれないが「歩いた」という戯曲を前提に。


 この疑問へのチャレンジとスノボーシーズンを前にした足腰の鍛錬の一環と兼ねて計画した(↑古地図)。
 もちろん武装は出来ないので6Kg(4+2)の鉄亜鈴をリュックに入れた(重さも方法も不適当だが、とりあえず…この重量は翌日限りだが腰に響いた!腰の椎間板を少し傷めたかも)
 コースは記録(諸説あり)に従ったが、時間は義士の6時頃(六ツ時)吉良邸発8時(五ツ時)頃泉岳寺着を、私は10時10分発に変更した。また、各地点は通過しただけでは無いので差が歩行時間ではない。 
 吉良邸10:10発→回向院10:25発→両国橋(渡橋せず10:35発)→乳熊味噌店11:35発→永代橋11:40発→八丁堀→浅野家江戸屋敷跡12:20発→築地本願寺13:30発→(築地市場)→芝大神宮13:10通過→金杉橋→泉岳寺義士墓13:48着。所要時間 3時間38分 ! 


 [考察]  
鹿野は堀部弥兵衛に比べて武装想定重量も軽く、歳も7歳若くて、普段は早足と評されているにも関わらず義士の2倍近い時間がかかってしまった。ひたすら歩くということではなく、あちこち沿道のもの(一つ目弁財天、芭蕉記念館など)が珍しくて立ち寄る足止めが意外に時間を消費したに違いないので今回は何とも評価出来ない。 戯曲だから真偽は問うほどではないが堀部弥兵衛の体力と気力に脱帽! 
 
 [余禄]
●一つ目弁財天
 :

この弁才天は江島杉山神社といい、江ノ島の弁財天の分家である。建立の由来から目の不自由な人(昔の検校など)の信仰を集めているため、天女(=弁天)の石碑の文章が点字であり、さすが!!

●回向院:
 

回向院は振袖火事(1657年)の焼死者10万余人を弔うために建てられ、以降は災害時の無縁仏の供養寺になっていたそうだが、鼠小僧次郎吉の墓と関係するのだろうか、動物慰霊が目立つ。建物も異風だ。