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身近な「ふくしま」 

 12日、近くのスーパーに自転車で出かけて中を歩いていると、「抹茶ゆべし」、「ゆずゆべし」が目に入った。手に取ると製造元に「福島県郡山市」とある。おおっ、これは「ふくしま」だ。被災地支援のために買っておこうと思って(実際は食べたいだけだが)、店の名前を見たら「ふくしまのアンテナショップ」だった。
 各地のアンテナショップといえば、有楽町の東京交通会館や浅草周辺と思っていたが、こんな都心外れの、我が家の近くにアンテナショップがあるとはと驚き!! そこで店に入って水産物も買い足した。
 麺類はじめいろんな産物が並んでいた。また来ようとチョット良いことしたかなと自己満足で帰ったが、翌13日の朝日新聞朝刊に、このショップが紹介されていた(写真)。
 新聞より1日早く知ったことにまたまた自己満足。よし次は麺類を買いに来るぞ。
 そういえば昨年蔵王にスノーボードに行った時、民宿で見た天気予報で福島を縦に三分割して中通り、浜通りなどと呼んでいた。昨年遊んだ蔵王や天元台、羽鳥湖の各スキー場も地震で早くに閉鎖。
 みなさん、困っているのだろうな。
 

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ウソくさい

 今、日本中が「東北がんばれ」の合唱で、芸能関係やスポーツ関係の有名人は「自分たちの活動が元気を与える」という。また、ドサクサにまぎれて「義援金にします」が贖罪で、いい子ぶって復帰を図る歌舞伎役者もでる。
 私は鎌田實氏の「がんばらない」に共鳴して一時は「頑張れ」という言葉の使用に注意深い時期があった。  今は大災害の直後で国民総ハイ(躁)の状態であるが、ぼつぼつリバウンドで鬱状態になってくる。
 躁の時は「がんばれ」は煽りになるが、鬱状態に「がんばれ」は禁句。

 プロが自分たちの活動が被災者に元気を与えるといって歌ったり、スポーツすれば十分というのは思い上がり。 結局は災害を口実に恩着せがましく、その実は売名行為をしているように見える。
 ある芸能人グループのチャリティショーの動員数を伝える。凄い、立派。ところで「励ましたのは被災者なの?元気な普通のファンなの?自分自身なの!」。 テレビもない避難所iに歌を届ける?? 支援の実質的効果はどれ位?
 支援になる本物と、それ以外の偽物を見分けなくては。

 避難所で何もすることが無く空腹を抱えている被災者が、テレビカメラの前でマスコミが期待する発言だけを選んで報道するのはヤラセというのでは。
 テレビ的ウケのある悲惨な話題を求めてくるテレビのルポに「取材お断り」した避難所の責任者は良識がある。

 ここは、過去の被災者が「いろいろ支援があったが、結局、一番うれしかったのはお金を頂いたこと」という本音の部分を理解し、ここ一番は十数年前の「家なき子」の名セリフ**「同情するなら金をくれ」**こそ本当のように思える。

 「元気を与える」なんて綺麗事を言わずに素直に堂々と「プロとして生活のために働きたい。働けば収入の一部を寄付することも可能」というのがまともに聞こえる。野球に興味のない人もいる。プロの活動を見、聴きして元気になる人がいれば、それは余禄というのがプロ。

 お金持ちの人格は財の多さではなく、その財をどのような使い方するかで決まる。
 その点で私財100億円+αを寄付したソフトバンクの孫社長、つづく楽天の三木谷社長などさすが実業界の雄はお金を持っているし使い方も判っている。 困っている人に「お金が全てではない」は綺麗事のセリフ、「お金こそ力だ」と割り切って行動出来る人はすごい。 スポーツ界でも石川遼氏はゴルフが金持ちのスポーツだけに判っているようだ。
 ぼつぼつボランティアの受け入れが可能になった。
 「力ある者は力だし、金ある者は金をだし、知恵ある者は知恵をだす」ってスローガンの出典はどこだったかな。  

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今年の年賀状で気になる一枚 があった。  
 それは左の添え書きがあり、さらには右の最寄駅名まで書かれた叔母からのものである。

 私(鹿野美弘 1940生)は 日清、日露戦争から太平洋戦争(1941~1945)に続く日本がもがき苦しむ時代に、京都の士族鹿野家に54年振りに生まれた男児であり、さらに父は質実剛健の薩摩っぽ(養子)だから、私を「男」として育てることと、将来への期待は大きかったに違いない。
 この叔母は鹿野家の私の母(長女)の妹(五女、末女)で、「誠実」、「一生懸命」、「昔気質」の人である。 
 だから「もういいのでは」と家族中が言っても、叔母は自分が納得するまで何度も書き換えに付き添って完成させた私の(涙交じりの)書き初めの宿題のことなどを、今も忘れず叔母は話題にする。
 この家族と特に叔母によって、小学校の先生が「背筋を真っ直ぐ伸ばして座り、微動だにせず授業をきいて・・・」と評されるような私になったらしい(=叔母の話。でもいつから正反対になったのかな。スーツ嫌いはその反動かな。右は普段着で、叔母訪問時のスタイル)。

 しかし、そんな厳しい教育を受けていたかも知れないが、叔母達の中ではいつも身近に居たので一番忘れられない大切な人のひとりである。また、母が病弱だったので結婚されるまでは私の乳母兼教育係だったのかな(?) 今の自分は叔母のお陰と感謝せねばならない。 
 …… だのに、ここ40年間でほとんど会った記憶が無い。

 その叔母の年賀状は当然気になるし、私も昔気質で、それを無視出来るように育てられた「男」ではない。
 4月6日、突然仕事が休みになり、朝に叔母訪問を思いついて新幹線に飛び乗った。

 几帳面な叔父(85歳)も、叔母(82歳)も相変わらずでお元気な顔付きだった。叔父の動きは歳なりに。 
 突然の訪問で、叔母からウルウルのハグを受け、戦中派で几帳面な叔父からは志願兵役(18歳~)の時の輸送船団16隻が魚雷攻撃で僚船12隻の沈没の死線を越えた話、捕虜生活の話などを聞く。年の差、わずか15年で大きな体験差がある。
 そして数刻の滞在、懇談で帰路につく。 本当にいい一日だった。 

 ところで子供の時(1950年頃)、蒸気機関車(C65やC59)に引かれた「特急つばめ」が東京-大阪間を9時間で走り、高校生頃には電化で「8時間を切った」というニュースがあったのを覚えている。当時は崎陽軒のシュウマイとワサビ漬が土産だった時代。今、新幹線は東京-京都が2時間半である。時間的には気楽に行ける距離で窓は開かない。

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秘境テスリン川下り
320Kmのキャンプツアー募集のご案内(案)

 本案は3ヶ月前の4月下旬の時点で「7月下旬羽田発バンクーバー経由のエアカナダ早割航空券の入手困難」という予想外のことになり、来年に延期を決定しました。
 参加予定の皆様、本案内をご覧頂いた方々に航空券手配の不手際をお詫びいたします。

2010年は江戸川カヌークラブの3名がカヌーイストの憧れの川、ユーコン川160Kmの川下りキャンプツアーに遠征し、想像を超えた世界での大自然の中の旬日は大きな感動の日々でした。

今夏(2011.7.下旬、成田発)はこのユーコン川の一支流「秘境テスリン川320(or 200)Km川下りキャンプツアー」を計画しました。テスリンはユーコン準州にあり、原生で野生動物に会う確率も高く、ユーコン川下り以上の感動に遭遇すると確信しています。 

今回は前回の経験を生かして下記の特徴があります。 
1.少人数(6名の3艇位)編成ツアーのため野生動物との接触機会が多く、キャンプ地は一ヶ所に1組だけの優先順設営。
2.カナディアンカヌーの漕艇は基本的には素人でも体力的に高齢者でも可。ユーコン川(7〜8Km/h)より緩い流れで沈(チン・転覆)の危険性のないややのんびりした川下り。 
3.途中の一ヶ所で連泊し、グレイリング釣り三昧の日を設定(釣りライセンスは別途約2,000.円余必要)。
4.目的地(フータリンクワ:両川の合流点)到着してからは水上飛行機で出発地(Whitehorse)に戻る日程(200Km)。 参加者の希望でさらにユーコン川をリトルサーモン(露天風呂あり)〜に下ることも可。
5.費用は全行程で30万円強(ただし参加者数で未定、エアカナダ料金も予約時期で変動)。あとは小遣いだけ。
6.今回もガイドはWhitehorse在住の櫛田氏に依頼(4/5内諾)。行程のガイド、カヌーや運送等の手配、食材の調達、毎食事の調理(現地料理+参加者の希望)など一切の準備をガイド任せの体制は前回と同じ。 
7.必要なもの:1〜2人用テント、寝袋、(以上は櫛田氏からレンタル可)、ウインドーブレーカー、長靴、衣類、水着(温泉にて使用)、帽子程度です。  カヌーの一式、クマ対策用品など、キャンプ用品は全てガイド(櫛田氏)が準備し、それらの費用も含む。
 櫛田氏のことは次のHPを見てください。http://www.klondikecanoe.yk.ca/J_index.htm 
 昨年のツアー状況は、このブログを2010/8まで遡ってください。

 フータリンクワ(7日目、ユーコンとテスリンの合流地点)から昨年の終了地点のリトルサーモンまでユーコンを下る(8日目~、320Km)か、カーマックスまで行くとかも可能です。
 めったにない機会です。ぜひ、ご一緒にテスリン川を下りましょう。
 連絡、問合せ鹿野 美弘 kano-kampo@r3.dion.ne.jp  0901-645-0255

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驚いたこと 2題

その1. カナダ/ウイスラーにスノーボードに行った時、バンクーバーに住む娘に「チョコ・白い恋人」と、その箱の包装紙の隙間に手持ちの$1,000.-を押し込んで、ウイスラーの郵便局から送った(11.Feb.)。
 ところが同時に送ったWhitehorseの知人には「白い恋人」が届いたが娘のところには届かず郵便物は諦めるしかなかった。
 ところが3週間後の3月2日、江戸川区の自宅ポストに現物が届いたの見つけて驚いた。
 まず、宛名の番地が「109-310」を「109-314」と誤記したのが未配達の原因と分る。
 さらに差出人は日本語で東京の住所とJAPANと書き、ウイスラーのホテル名と所在地も併記していたが、ウイスラーの郵便局発送だからカナダの国内料金分しか払っていないにもかかわらず、ホテル経由の再転送らしいが、無償のXpressportで日本に配達された。
 カナダの郵便行政、郵便局員の配達業務に対する誠意が強く感じられて、久し振りに感動、感激した。不着は現金封入のためか・・・と疑った自分が恥ずかしい。メール全盛の時代、郵便を守る人達を大切にしたい。
 
その2. 東北大災害の義援金は「痛みを分かち合う」という意識で、新調予定のカヤック艇購入分を拠出した。これで十分とは思わないが、私の立場は先ずは被害の少なかった者として支援側のつもりである。
 ところが私が被災者の一人と扱われて、何と今日(3/3)和歌山市のY医師から飲料水(ペットボトル1L×12)が何の連絡もなく突然送られてきた。
 地震後、知人から沢山の見舞い、問い合わせを頂き、外国からは避難して来るようにas soon as possible と熱心に招いてくれた人も少なくない。確かに江戸川区でも上下水道破損、液状化、地面の断裂などの被害はあったが、ここまで心配してくれている人が居られたとは思わず、驚きそのご厚意に感謝した。
 当然、当地は回復しているので早速、この飲料水は三陸で避難所生活をしながら医療活動中のK医師に宅急便で転発送したが、最も必要とする人のために活用されるに違い無い。 

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地震の影響 ―
我が生活スタイルの反省と対策

東京は今、節電を強く意識しなければならない状態になった。
1.シャワレットの便座は常時通電され温められているのに気がついた。一日1回しか座らないのに四六時中通電する不経済さに気付かず慣れていた。 

そこで遠隔スイッチを取り付け、座る前にスイッチオンし、終わるとオフするようにした(左の写真)。
2.大きなポットに常時4Lの水を入れて保温の加熱状態が続くという電力消費に気付いた。

そこで小型のシンプルな湯沸かしポット(0.6L)に代えた。保温機能はないので、必要な時に必要なだけの水を入れて加熱した後はスイッチは切れている(比較の写真;左は0.6L、右は4L)。
 いつでも押せば出る便利さに比べ面倒かと思ったが、沸くまでに数十秒、慣れると生活のリズムにいい間が取れるようにも思える。
3.PC類にもトイレと同じ遠隔スイッチを付けて使用時以外は電源の元から切れるようにした。不在時はLANの電源と電話機の差込を抜いてカットすることにした。
4.台所や廊下等の球型の電燈を省電力型に変更しようとして、凄い事実に気がついた。使用中の古い電球は100Wで消費電力は95W、最近の電球は従来の100Wの明るさ(100W型)でも消費電力はたった21W前後で十分。何と60W型なら13Wである。知らぬ間に電球でもすごく進歩しているのだ。この球はかなり高額で経済性からは評価出来ないが、電力消費量の社会的義務感から交換することにした。 
5.時計、電話器、テレビなどの電化機器には小さな通電ランプが点灯し、DVD機の時間表示だけでも足元が明るいので真夜中でも室内は真っ暗にはならない。これも省電力を考えたいが難物。 
6.クリスマスのロウソクが見つかったので、電灯を消して火を付けた。何もしないで炎を見詰めていると素敵な癒しの時間が得られた。これは節電とは別に少しハマルかな。  

 文化的生活とは何だろう?
 今回の大災害は、私に文化的生活という言葉の「文化」の意味を考え直させ、資源の有限性を実感させたといえる。
 案外、この大災害は歴史的にみると大きな不幸であったと共に、将来、日本の生活意識全てを根本的に改めた転換期として位置付けされるかも知れない。 
 私には隠居すれば晴耕雨読、朝日と共に起きて日没と共に寝る宮沢賢治的な穏やかな生活もアリかも知れない。実際、昔は自分もそれに近い生活だった。実は畑付きのいい田舎家がある。考えてみよう。