未分類

釧路川源流の屈斜路湖から釧路湿原まで

 釧路川は屈斜路湖に始まる源流部、の町を流れる中流部、からの釧路湿原までがそれぞれ個性的な姿をみせ、さらに保護された自然原生林に接することのできる国内でも稀有な河川である。
 昨年のカナダ・ユーコン160Km川下りキャンプツアーに続き釧路川源流から釧路湿原のキャンプツアーを試みた。
 源流部 ここは屈斜路湖の跳跨橋に始まり、自然林の中を流れ下るため、川に張り出す幹や枝に、水面に突き出た倒木や水中に隠れた倒木等の障害物を避けるのはスラローム+障害物競走で写真を撮る余裕は無い。

[写真は源流部の途中の「鏡の間」と呼ばれるエディ。水底の藻が鮮やかな淡緑色に輝いて見える]

 鹿野としては回転性の低いファルトカヌー(フジタカヌーP-430)でこのようなスラロームは初めてのため、目の前に突き出た枝に思わず手を出して体勢を崩し半沈(?)状態、そこからの脱出は内谷氏の投げるスローロープのお世話になった。ダッキーの友人達には楽しいコースであった。
 実は、釧路のカヌークラブの内谷氏が自分で設計されたオープンカヌーを持って支援のガイドをしてくださったが、彼のガイドがなければわれわれのツアーはかなり苦労したに違いない。お陰で源流部の障害物競走を安全に十分堪能することが出来た。
 中流部 ここは弟子屈町摩周から標茶へ町中を抜けて流れ、途中に2ヶ所の滑り台の瀬と、いくつかの素直な1〜2級クラスの瀬を楽しむ部分があるが、基本的に両岸が極端な護岸工事で整備され、自然味は全く無い平凡な河川である。
滑り台の瀬を内谷氏の案内で河岸から見下ろしてみて、長いファルトカヌーの先端が滑り台の下端に当り無理な力が係ると艇が歪み壊すリスクが感じられ、さらに「雨天」で「寒い」という三重苦なので今回はパスした。 鹿野は前日のスラロームで同行のT氏が腰を痛めた治療のため、釧路往復の車の運転手を務めた。
 もちろん、ダッキーの二人は嬉々として下り標茶に到着し風の強い中、河川敷でキャンプを張る。
湿原部  前日までと打って変わり朝から暑くなった日で、薄着のウエアで出艇。
 ここからしばらくは穏やかな流れで下るが、五十石橋を過ぎれば「ここから湿原:自然保護区」の看板から、しばらくして川幅も広く、ゆったりとした流れになる。
湿原域に入っているが、両岸はヤナギの林で、大きく蛇行した原生林の中をゆったりと漕ぎ下る旅であって、いわゆる湿原の空間的な広がりは感じられない。もちろん艇を休める場もなく細岡のカヌーポートまで下る。
 細岡のカヌーポートの傍から狭い水路を通って達古武湖に入り、横切って達古武キャンプ地に着く。
 
ゆるやかな流れの湿原と広い湖面を漕ぐ時はさすがファルト艇、ゆっくり漕いでもダントツの早さでダッキーとは比べ物にならない。
 身体を体軸で回転させて漕ぐ方法は、多摩のカヤックスクール「グラビティ」で習得した漕法で疲れず、水を確実にキャッチし、無駄がない。
 

 正しい方法を学ぶことの大切さを再認識した。 

未分類

別寒辺牛湿原での自然観察

 釧路川源流から湿原までのキャンプツアー(前項)のあと、別寒辺牛川湿原のサンクチュアリを下る1日とした。
 今回は、同行の前田さんのダッキーをタンデムすることとしたが、右のチューブに空気もれを発見。応急手当で下るハプニングに見舞われた。

 厚岸湖-別寒辺牛湿原はラムサール条約に登録された湿地で、厚岸水鳥観察館が管理する。河川と周辺の植物相は標茶から細岡までの釧路湿原と大差はないが、前半はヒシクイに先導され、途中はオシドリ、カモ類、アオサギなどの水鳥が姿を見せ、ウグイスやカッコウなど多くの鳥の声の途切れないシャワーを浴びる川下りで、さらに岸辺を若鹿が鹿の子を翻して跳ね、キタキツネが草間に顔をみせ原生自然の世界に浸れる最高の時間を過ごせた。

 中間点から下り、根室本線のレンガの橋をくぐってチライカリベツ川に入れば、開けた湿原の水路で、強い向かい風に精一杯ただ漕ぐことになったが、これもまたひとつの思い出となった。
 センターになる厚岸水鳥観察館の2階の展望室の望遠鏡では湿原のはずれで丹頂鶴やエゾシカが餌を探す姿を観察することが出来た。

ここは1日の入域者制限があり予約が必要であるが、一杯になる機会は多くないので、道東の訪問先としてここは外せないアナ場である。下ると名入りの「川下りライセンス証」が頂けるのも嬉しい。

未分類

腰痛と治療

 釧路源流から釧路湿原への川下りツアーの時、友人のTさんが腰痛に襲われてツアーが続けられなくなった。本人はギックリ腰といい、常習的とのこと。温泉に入ると楽とのことで、温泉に行った。
 本人の「常習」の主張はともかく、大事を取って標茶町摩周から釧路に治療に行くことを薦め、釧路市内の知人や医師に相談した。そして「病院より整体院」での治療法を勧められ、鹿野が車で釧路日赤病院近くの長生館脊椎矯正療院(0154-24-6500)まで送って行った。
 椎間板ヘルニアと診断、施治され、少し改善し、翌日も再診し、かなり改善されたが、その翌日は航空便の車イスのお世話になり帰京した。
 
 ところで鹿野は「しばらく座業をして立つ時に腰が痛く伸びない」「右後の骨盤の上部に強く押されたような軽い痛み」を常時感じている。いずれも生活に強く支障を来すものでもなく、「まあ歳か」と放置していた。
 しかし、Tさんのついでに生まれて初めて整体の検査をしてもらうこととした。
 成田育夫院長は指で脊椎をなぞり、第四腰椎が少しズレでいると診断。さらに右肩が少しズレて、その結果、脊椎が少し右に引っ張られているとのこと。「治しておきましょう」とボキボキとされた。
 「実年齢より10歳以上若いです」の一言にいい気になったが、その後、座業の後も問題なく、腰の痛みは全く無くなった。正直、驚いている。
 自分の専門の漢方医療も薬液だけでなく、鍼灸、按摩、導引を会わせた四法で成り立つ。骨の少しのズレでこれだけ違うのかと身体のバランス機構を再認識し、また古来の経験的治療法にはこんなに素晴らしい面があると再認識した。また、いゃ~、本当に驚いている。 

 

未分類

「東洋医学の標準化」に失望 
—東洋医学会–

 日本の伝統医学の理論と施術は、各流派を基に個性化もあり百花繚乱ともいえる。  教育の点でも、さらなる発展のためにも共通認識、共通言語での統一が必須であり、「日本漢方の多様性と標準化」が重要課題となったことは遅きに失するとも言える。 

 中国は新中国建設の過程で伝統医学の排斥の運動から一転、朝鮮戦争期の国民医療への貢献から、1949年、最終的に伝統医学(中医学)と現代医学(西医学)の一方を採るのではなく、両医学が協力(中西医合作)して国民の医療に貢献することを国是(憲法で規定)とした。 
 そして全ての伝統医の生活を保障することにより、理論と技術を提供させて知識を集約し、中医学として集大成し、大学での伝統医学教育の基本(全国統一的内容)とし、臨床での実証的検証を経て弁証論的発展を期している。 
 また、2003年には世界中医薬学連合会を組織し、国際的教育内容の統一と水準の維持、国際中医師資格の審査、薬剤資源を論じて、設立総会の案件3ではすでに「国際標準化学術検討会」が開かれている(鹿野は中医薬学会連合会の専門家顧問委員会の一員として参加)。 

 ところでわが国では…… 2011年、東洋医学会総会で厚労科研シンポ「日本漢方の多様性と標準化」がやっと課題となったが、「科学」ではなく、日本の漢方各派の顔を立てた多様性重視の「文化論」が会長の論旨であったのは失望した。 
 現代医学は日本が中国より進み、伝統医学では中国で中医学として理論化が進んでいるが、日本における伝統医学の臨床経験の科学的検証は中国に劣っていない。 

 そこで中医学や全ての伝統医学を包含して「日本東洋医学会が新しい伝統医学体系を作ろう」と呼びかけることを期待していたが会長の文化論で大きく後退したのでは。 

 全ての点から評価される国際化に成功した者が勝者。
 今後、中医学はますます国際化達成への道を突き進み、日本の漢方医学は国際的説得力を持たず「少数民族の医療」という認識の枠から脱せない。高度水準も国際的に認識されなければ自己満足的評価である。 
 この期に「和をもって尊し」とし、バランスをもって自己の地位保全をする日本人の特性の域を脱せなかったことを残念に思う。バランスの一方は新興の中医学派で、反対側は何だろう。