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我が家の朱印状と古文書、自由民権運動?

 先日、鑑定団を見ていたら「徳川秀忠が下した石清水八幡宮領への朱印状」が300万円とされた。
 これは驚いた。
 我が家に「徳川家康、秀忠、家光」の三代の将軍からご先祖様宛に下された石清水八幡宮領に関する三通の朱印状が、朱印状と書かれた漆塗りの箱に入ってある。さらにその外側は桐の箱である。
 家康の署名はしっかりした小振りの文字。
 石清水八幡宮は天領(幕府直轄地)で武士には鹿野姓が多い。もちろん我が家は石清水八幡宮のある八幡(ヤハタ)の出で、始祖は天皇家のご落胤(?)らしい。
 本物なら家宝級の朱印状は今は息子が保管している。 
 
 妹が伏見の鹿野家を整理した時に古文書と塗絵桐小火鉢、などが出てきたと連絡があった。
 桐箱入りの揃いの沢山のタバコ盆、錆びた鉄瓶も~来客が多かったのだろう。

 なんか、歴史づいている感がある。
 めぼしい物は姉や妹が持っていったらしく、他に京刀一振だけ。一度、ゆっくり残された古文書も読んで歴史散歩をしてみよう。歴男もいい。
 朱印状の写真は、息子のところにあって写せないので、後日機会があれば。
 
歴史が紐解かれて 
 その1.朱印状の話つながりで、妹からメールが来た。
 …… 吉野大滝の土倉家の二男におじいちゃんの妹が嫁ぎました。
 土倉家二男は生来の虚弱体質で、付添い看護婦(祖父の妹)と結婚し、二人は京都加茂の公家屋敷のような家に住んでいました。髭のおじいさんって、覚えていませんか?
 白い長い髭のおじいさん~ (そうそう、いたいた。虚弱体質だったら、その割に長生きしてるよね) 
 私(妹)は聞かされていましたが、長い間研究者の間では板垣退助の自由民権運動のスポンサーが誰か、資金の出どころがわからなかったそうです。
 それが土倉翁と分ったことを新聞で読んだ覚えがあります。今、大滝に土倉翁の顕彰を掘り込んだ大岩があります。 彫像もあります。…… へぇ~~ そんなん知らんかった! それならもう少し百円札を大事に使えばよかった(板垣退助百円札:現在1枚120円)。 
その2.我が家の過去帳に「丸山城主、2万石」とかある。近鉄の伊賀線の丸山城址?が関係するのかな。
その3. 神埼の徹子叔母の調査によると、八幡町史に「家老職が百姓一揆の責任をとって遠島。3年後に赦免。… … 遠島された家老の名は……ご先祖様」
その4. ~があるかな。ご先祖さまも忙しかったようだ。

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朱印状と古文書-その2

 息子(豪)が、前回の朱印状のブログを見て、早速朱印状の写真を送ってくれた。


 朱印状を保管する漆塗りの箱、家康の文字と花押、朱印状と一緒に入っていた古文書。
  
 徹子叔母はいろんな古文書を調査して家系図を復元してご落胤まで行き着いた。歴女ではなく、鹿野家を愛するためだろう。ご先祖様の引責の遠島も徹子叔母の発見。
 今は鹿野家の歴史の語り部(?)は妹なのかも、いろいろ教えてくれる。
 伏見の家に朝廷軍が逃げ込んで大砲を打ちこまれたとか。いや幕府軍が逃げ込んだのか。大砲を打ちこまれたのは八幡の屋敷か。どうもこれは鳥羽伏見の戦いの話かな。創作か。ここははっきりしない。
 いかに語り部の妹でも信憑性は保障しない。 

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戻り鰹が今年も…!

 例年、秋になると気仙沼の知人から「戻り鰹」が届けられる。

 彼の医院は完全に津波に襲われ燃え尽きた南気仙沼駅のすぐ近くである。
 3月11日、燃え上がる炎と黒煙を見ながら、彼も、彼のco-worker達も無事に避難出来ただろうか心配した。すぐに八方手を尽くして東北地方の知人達と彼の安否を調べたところ、東北の知人達も気仙沼の知人も全て無事で、知人はすでに某避難所で医療活動をされていることが伝わってきた。
 すぐ避難所宛にお見舞い金を送り、また、後日、元気付けるためにお見舞いのお菓子類も送った。
 「お礼返しを心配しないように」、「先ずは復旧に全てを」と伝えたが……。 
 
 また、秋になって気仙沼から「戻り鰹」が届けられた。

 新しい医院は高台で開院し、住所が新しくなったのは、ご自宅が新しく安全な場所に再建出来たのであろう。

 きっと復旧が順調なのだろう。 良かった。
 きっとまだまだ医療活動に大変なことだろう。お疲れ様。
 一日も早く日常が戻り普通の生活が出来るように。 戻り鰹…その一歩。
 被災地の皆さん、お身体大切に…・・。