未分類

サンシュユ植栽のNPO法人設立準備会が…

 和気=「気を和する」は漢方思想では最終的目標といえる。
 そこでこの和気町で「サンシュユ・クチナシなどの薬草木を植栽して漢方生薬の国産化と共にサンシュユなどの薬草木の花や果実を観光資源化し、また食品利用として地域特産物を開発するNPO法人を設立して和気の発展に寄与する」ことが黄雲泊の夢事業である。 
 それに知って積極的に支援して下さる和気の方々がおられたが、とうとう8月30日、NPO法人設立を目指して6人が集まり準備会を開いてくださった。
 なんと黄雲泊開設日の3月25日からほぼ5ヶ月目である。早い。
 町のために長年の間尽力されてきた名士で適任の方々の中から、今日の6人が特に厳選されたそうだ。
 お会いして、まぎれもなく熟慮された最高の人選にただ驚くばかりである。私では100年経っても集められない。

 会は石野芳子さんの司会で最初鹿野が夢事業のプレゼンテーシヨンをさせて頂き、それに合わせた会の名称が討議された(写真は目賀さん提供)。

 会の名は山茱萸で気を和する郷を創る会」(仮称)で略称は「サンシュユの会」となった。
 次いで会長は元高校教員で樹木医の資格もある有吉正春氏を選出、副会長は石野芳子氏(町の女性リーダー)、渉外部長は町会議員の山本泰正氏、技術部門の長は岡山農園主で和気町特産品づくり研究会副会長等の要職にある児山安伸氏、さらに元区長で地域の信頼が厚い石野泰造、目賀隆青両氏が事務局と、諸用務を分担して下さる万全の体制が決まった。鹿野は代表にして下さる。この7人を核にこれから会員、役員を充実さしていくことになる。

[前列左から目賀、有吉、鹿野、石野芳子、後列左から児山、石野泰造、山本(敬称略)]

 さらに、早くから「サンシュユ夢事業を支援する勝手連」を作り、今回の準備会発足に至るまで熱心に支え縁の下の力を発揮して下さった目賀氏が会の規約などを検討して下さる。
 みなさんはそれぞれの仕事と、和気町のためのボランティア活動で各種組織、団体の責任者をされている忙しい中でのことで、皆さんの熱意に感謝することばかりである。
 さらに「サンシュユの木の会」だからと語呂合せで毎月第「3週の木(曜日)」に定例会を開くこととなった。この語呂合せの発想に…拍手 !
 次回(9月)の例会は候補地の視察とし、10月からは「例会で薬膳も楽しめるようにせよ」と指令を受けた。ヤバッ !!
 NPO法人のことは2~3年後と思っていたが…芳子氏の議事進行の名采配と皆さんの協力ででどんどん計画が進む。これは司会をされた芳子さんの経験と人徳。本当にありがたいことで皆さんに感謝だ。

 独白 : もしかしたら・・・「鹿野が死ぬ前に目途をつけなければ・・・」と皆さんが話し合って駆け足になったのかも。
 なぬ !?  殺さないでくれ !! オレはまだ死なんぞ!!  

未分類

立秋過ぎた菜園

 良く熟れているが8kg(2貫目)のサイズのスイカを2個収穫した。
 このサイズでもスーパーでは2割、4割で販売されているもののようだが、初め16kg(4貫目)という巨大なスイカを2個も収穫していたため半分のサイズには驚きは小さい。

 小さいとはいっても一人で4貫目を2個も食べることはできない。
 ブームになりつつある醤油麹を作ったので一緒に友人に送って食べてもらうこととする。
 これが今年の最後かと思うと過ぎゆく夏が惜しく感じられる。来年も作るぞ!!

 春に菜園先輩の才媛妹が次々に苗を送ってきて、それを律儀に植えていたら、ひとり者には取れ過ぎになる。
 ピーマン類も多産で使いきれずに畑でどんどん熟れて、とどのつまりは青いピーマンが赤ピーマンになってしまった。

 青から変じた赤ピーマンもカレーに入れれば別に問題なく食べられた。

 菜園はどんどん整理の段階、まもなく秋植え野菜が始まる。
 いろいろ次から次へと忙しいものだ。

未分類

立秋が過ぎて田舎は夏祭り

 蝉しぐれも緩やかとなり和気の最初の夏も終わりに近づく気配。
 8月16日、和気の和文字焼き祭がある。1987年に京都の大文字焼きを模して始まったもので歴史的な発祥では無いが、屋台、花火大会と合わせて和文字焼き祭り会場(吉井川河川敷)は大変な人出で田舎の夏祭りとしては定着しているようだ。


 私はもともと子供の時の生活環境によるのか、受けた教育のせいか、あるいは音痴のせいか、コンサートや社交ダンス、盆踊り、さらには屋台や舞台ショーなどに全く興味を示さない体質で、その楽しみ方も分らない。
  でも和気の新人の常識として出かけてみることにした。

 屋台は多く、ぎっしり300店は並んで大盛況。
 定番の品目に並んできゅうりの一本漬けという「きゅうり一本を割り箸に刺した浅漬け」があった。
 私は胡瓜よりも「冷やしパイン」という8分の1切りのパイナップルを箸で刺して氷で冷やした方が好みで、同じ形でも「胡瓜の漬物」の方は理解できないが、こちらも結構繁盛していた。

 記憶では花火大会というものは、札幌の花火大会に二人の留学生を案内し、6人の留学生を連れて神通川(富山)の花火大会に行ったが、いずれも国際交流の一環という意識であった。
 東京に住んだ最初の年、妻に誘われて近くの花火大会に行ったが長居はできなかったことしかない。

そう言えば東京のマンションのベランダからは東京ディズニーランドの花火が見えたが、1、2度チラミしただけで、あとは毎日の花火の音が8時半の時報としての価値しかなかった。
 この点、私は欠陥人間といえる。

 そこで今回も花火が始まると帰りだし、吉井川の和気橋を渡りながら眺めて駐輪場に着き自転車に乗った時に花火が終わった。

 涼しい風に吹かれながら金剛川の堤防を走って帰宅した。

未分類

朋 遠方より来る。
       亦 楽しからずや

 2日前、大阪の嶋田康男氏から電話があり本日(8月4日)来訪。

 嶋田さんとは中国との国交が回復し、何次も派遣された生薬研究調査交流の訪中団で度々一緒になり、(当時は)若さ故に悪友化して以来の交流である。
 彼は沈香の研究で薬学の博士号を取得し、今は関西生薬業界の三星製薬(家庭薬メーカー)の部長である。

  漢方・生薬を研究し、学位がある学識者であるため、一企業人の枠を超えて日本薬局方では委員として関与し、ワシントン条約関係の責任者など広く行政を支え、活躍する今や泰斗である。
 また、奈良県の生薬生産振興や流通などでも地元行政を支えている。
 先日は某皇族が漢方薬生産の歴史を知るためお忍びで奈良を訪問され時には彼が薬草園を案内し進講し、夕食に随伴した(お忍びなので宮家の尊称は書けない)。

 従来から行政や生薬業界の情報は常時流してくれ、都会から離れて山椒魚的生活をしていてもお陰で時流に取り残されない。また、疑問や不確実なことがあれば問い合わせる確実な情報源でもある。
 
 顔を合わすのは久し振りなので、行政や業界の現状についての意見交換に盛り上がり、また黄雲泊のサンシュユ植栽の現状と今後について意見交換をした。
 さらに立ち寄った町の薬草資料館などの現状改善にも貴重な提案をしてくれたが、これは町の管轄で私は無関係だが活用を期待している。

 黄雲泊事業には大いに共感してもらい、支援を約してくれた。良き友は最高の財産。
 来訪の答礼として約されたのは私が奈良で講演することらしいが、共存共栄のために頑張ろう。 そして薬木栽培の経験を学んで和気に持ち帰ろう。