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大晦日の一日

 12月31日と元旦はスキー場ですごすのが恒例になっていたが、今年の年末は猛吹雪の予報。
 それで2度寝してしまい、7時前に目を覚ますと、案の定、大きな雪が振っている。
 まあ仕方ないか、元旦の雪面が楽しみと・・・、朝食。
 朝食が済んで部屋に戻ると窓の外には薄日がさしている。
 これは・・・予定変更。急いで着替えて、ばんけい(Ban.K)スキー場に向かう。
 ばんけいは昔は盤渓、今は「ばんけい」となり、Ban.Kともいうようになっている。

写真はBan.Kのゲレンデ

 長女がモスクワ大学を卒業して外務省関係に勤務していた頃、時々帰省してくれて、冬はこのスキー場をホームグラウンドにしてスノーボードをしていた。
 結局JSBAのイントラ、SAJの準指導員の両方の資格を取得したが、そこでやめた。
 その熱中していた頃(私は未熟)に誘われて来たことがある。

 中央のセンターA、B、Cのゲレンデ共用の1本のリフトと、山頂までの1本のリフトのみしか動いてなかったが、日本最大のハーフパイプやモーグルコース(予定)もある自然な斜面に近い(よく云えば変化に富んで多彩な)ゲレンデのスキー場である。

 写真は日本最大のハーフパイプの予定地

 このそれぞれのゲレンデではこの、斜面を娘はスルスル、私は壁に突っ込んだ、ここは横滑りした…と当時を思いだした。
 さらにリフトからのギャラリーが多いリフト下のパーク・・・レールで板が走って仰向けに転び、かなり恥ずかしい様を見せる。この日は止めてリベンジを期す。


写真撮影をお願いしたら「ハイ、チーズ」でパチリ。
これでは眼も口元も写らないので「チーズ」の意味は無いが「チーズ」で応える。

 夜は「年越しそば」ということで、カップ麺を買ってくる。そういえば去年も。
 カップメンの包装は似ていてもこちらの地方によって味が異なるらしい。
 横に北海道の形が印刷されているので、このカップ麺は北海道味ということだろう。

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久保さんと夕食

 Mt.レースイから札幌に戻ると、久保さんからメールが届く。
 札幌に居て、個食なら・・・一緒に夕食でもと誘ってくれる。
 

 久保さんは私が顧問をしていた大学の元剣道部員で、今は調剤薬局に勤務し、業務で道内各地の薬局支店を飛び回っている。
 そして私が札幌に来るときは、必ず連絡をくれて、剣道部仲間を集めて会を設定したり、個食にならないように気を使ってくれる。本当にありがたい女性である。
 今日は滝川の薬局支店に行き、19時前に札幌に戻ってくるとのこと。
 駅の改札口で待ち合わせて、クーサンお勧めの赤レンガテラスという新しいフードコートにいく。

 クーサンと楽しい食事をして、カメラを向けると「私、写真はいつも目を瞑って写る」というので、3枚写してみたら2枚が目を瞑っていた。
 世の中、不可思議なことが多い。

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夕張Mt.レースイスキー場へ

 12月27、28日の両日はエグザイルの札幌公演があったらしく、市内のホテルはライブ関係旅行社の事前予約で満室状態。
 そこで「思い出巡り」と称して札幌を脱出。

 夕張Mt.レースイスキー場のホテルシューパロに2泊して30数年振りにスノーボードを楽しむこととした。
当然30数年前のリフト2、3本が主で、山頂付近は荒れていた頃とは大きく変わり、リフトやゴンドラが増設され、コースも初級から上級まで充実していた。
 そこで昼についたので、全コースガイドを希望してボードスクール午後の一般レッスンL5クラスに申し込む。
 大体、L5クラスは1級のバッジテストの受験者等が多く、普段は誰も申し込まない。

 予想通り一般レッスンでもリーダー格の泉貴文先生との one to one のプライベートレッスンになる。
 全コースの案内の希望通り、ゲレンデを片っ端からビシバシ滑り、最後は最大斜度42度の未整備バーンへ。
 途中で1回、コブに跳ね飛ばされて宙返りしたが、後は無事に滑り降りる。
 2時間でMtレースイのほぼ全コースを制覇。
 先生評「凄いですね。B級イントラ楽勝ですよ。うちのイントラ達で鹿野さんと一緒に滑れる者はいないですよ。板が立ってミドルターンが綺麗」などとベタホメ。 
 ホメ上手と分かっていても、嬉しくなる。
 2日目、今度は「(年寄りなので)介護をお願いします」と申し込んで、またまた泉先生と二人。

 2日目の最初にチョコッとグラトリをして見せたら、「自分はできない」と泉先生。

 そこでグラトリ未経験の泉先生に2,3の技を教えることに。 
 始めると泉先生、グラトリに熱中され楽しそうなので、こうなれば上級者同士のボード友達が一緒に遊ぶという雰囲気になり、午後は立場が逆転して私が泉先生にグラトリを教える集中レッスンという変則に。
 さすが現役のイントラ、2つの技をほぼマスターされた。
 写真は泉先生のプレス。まだ板に気が取られて上体が硬いが、まずは上出来。私の写真がないのは・・・・

 Mtレースイのホテルシューパロの夕食は唯一ビュッフェスタイル(¥3,500.-)のみ、その周辺も夕食が不便。

 それで無料の循環バスで屋台村に行く。
 なかなかいい雰囲気で、夕食の2食は屋台村で。ここはお勧めスポット。

 帰路のバスの最前席から見る高速道路は、昔、ハーレー(FLHやサイドカー)を何度も走らせて楽しんだ道、あのころの夏の風景を思い出させた。

 
 

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友人二人と望年会

 私は忘年会という呼び名は好きではない。
 毎年、忘れなければならない嫌な事は何もなく、楽しく充実して過ごしてきたし、忘年会で1年をリセットする必要はない。
 そこで新しい年を展望し、夢をもって迎えるという意味で、年末には「望年会」を開く。

 札幌で、この趣旨に賛同してくださる方々が、松富さん(写真左)と遠藤久美子さん(写真右)で、今年も26日に望年会を開く。
 松富さんは岡山出身で、岡山で知り合ったが、今、ご家族を岡山に残して札幌で単身赴任生活。

 そこで岡山の話題(実際は自分の事業のことばかり)を話したが、二人は上手な聞き役を演じて下さり、すっかり好い気になって過ごした。
 それにしても遠藤さんは美人で才媛、望年会とは云え、忙しい時期によくまあ付き合って下さり、お陰で「苦手感」が去年より薄らいで・・・ラッキー。
 これこそ来年を望むところ。
 

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札幌で

 毎年、北海道に来る機会に、私が顧問していた大学剣道部のOBがOB会を開いてくれる。
 札幌近在で、時が年末という制限でも、今年も12月22日に元気に集まってくれた。

 若い学生だった彼らもアラフォー以上。
 去年まではOB会といっても、極く内輪の会であったが、今年は新顔も増えて、うれしいがきり。
 
 順調に発展している人、子供が母校に入学したと嬉し気な人、剣道を続けて高段者になった報告をする人、それぞれがそれぞれに力一杯生き抜いてきている。
 そしてまた、仕事と生活の課題に悩み苦しんでいる人も、癌と戦う人も剣道部のOB会ということで参加してくれた。会の参加がひと時の安らぎになれば・・・。
 一生懸命の彼らに幸いあれ。

 剣道部OB会だけでなく、他に五つのお誘いを受けている。
 私は幸せ者。

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 到着しました

 まず、無事に札幌に到着しました。ご安心ください。

 昨日は薬証会7組の講義をして、岡山市内のホテルに移動・・・と思ったら、クラシエ薬品の多田さんの手配で、7組の女医・荻田先生(岡山市西区在住)が送って下さるとの事。
 ラッキーと表に出て、先生の車を見てギャッ !!!

 マツダのRX8-ロータリーエンジン仕様のバリバリのスポーツカー。 これ希少車。
 何とかスノーボードの板を後部座席に入れて、岡山まで快適ドライブ。
 ホテルは岡山駅西口の幸荘・・・何と岡山で最初のビジネスホテルとか。
 部屋は畳敷きでバス、トイレは共用。でも居心地は良かった。それに安い。

 無事に札幌に着いて驚いた。雪が無い。ニュースでは「北海道は大雪、大荒れの筈」が・・・・・・!!
 昨夜は雨で雪が少し解けて、冷えて凍って一面波打ったスケートリンク状態。
 中島公園の雪も昨年に比べて少ししかない。

 でも、明日は足慣らしの初滑り。
 風が強そうなので、札幌国際にするか、テイネオリンピアにするか、迷う。 

 結局、初滑りはテイネオリンピアにした。
 さすが猛吹雪の予報で、人影は少なく、視界は悪くないので、足慣らしにはまずは上出来。
 

 数本軽く滑って、挨拶にとボードスクールの受付に顔を出すと、大学生らしい若者が群がりゴタゴタしている。
 聞くと、その一人が「英語が話せるか」と(もちろん英語で)聞いてきた。
 なんとマレーシアの学生で、スクールに入りたいが、受付の女性が(英語で)上手に説明できていないらしい。
 仕方なく説明して、登録するときになって、用具をまだ借りていない、カバンをバスに忘れてきて・・・等と難問多発。それを解決しているとスクールの開始時間に間に合わないことになった。
 ガッカリしている彼らを見て、お節介にも「じゃ、私が教えるよ」とボード希望者2人に伝えると、スキー希望者の3人も「私たちも・・・」。
 結局、3時間弱、教えたが、5人共、緩斜面を転ばずに滑って降りられるようになった(新雪で直滑降をしてもスピードが出なかったお陰だが)、観光旅行で来て経験する範囲では、帰国後に自慢できて、楽しい思い出にはなったようだ。

 一緒に遅い昼食をしようと誘われ、楽しいひと時。
 写真:前列の4人と後列私の隣の女性の5人がウインタースポーツを楽しむ。

 翌日、23日は札幌国際スキー場へ。
 往きのバスの隣が夫婦と五才位の男の子の家族。
 中国語の練習のカモ。
 香港からの観光旅行で、北海道は何度も来ているとのこと。美味しい料理が目的で、刺身とカニが好物とか。 まあ、ありきたりの会話。
 ただ、スキーは初体験。
 そこで会話練習のお礼に、手荷物(トランク)の一時預かり所、リフトチケット交換所、そしてレンタルスキーの場所などを案内してからスキースクールに行けば、予約が一杯で受けられないとのこと。
 結局、しばらくしてイントラの数の調整がついて、グループレッスンの料金で家族3人だけでグループという好条件で決まる(少しは私の顔が利いたかな)。
 レンタルのところは中国人が一人働くようになっていて問題なし。
 感謝されてホットする。
 昼食時に再会して、午後にはリフトに乗って上から滑ると楽しげに。

 それにしても地元客は来ない天候なので、札幌テイネオリンピアの客の8割は外国人。
 札幌国際スキー場も各国語が一杯。特に中国と東南アジアの人たちが元気。 

 写真 : ウエアもパンツも去年と同じなので、何か去年と同じに見える。
 ただ、メットとゴーグルが東京神保町に飛んで購入した新調品

 イントラの木村佳代さんと再会。昼食の豚角煮丼を食べながら雑談の一時。
 全てが1年前と同じに。
 

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師走もやっと

 今年の師走は忙しく過ごした。
 和気薬膳学校が2日、薬証会が3日、県協働事業のヒアリングに1日、隣地(国有地)との境界確定3に立ち合い、ヘルメットとゴーグルを新調したくてⅠ泊2日で東京へ行く。
 和気町協働事業申請の書類作成と提出をして、岡山大学薬用植物園でサンシュユ果実の採集と種子調製、そして台湾順天堂薬廠の招請で訪台の4日間をする。
 凍りつく前に,応援団3人の助力を得てポット苗を圃場に定植する。
 この間、高尾棟梁には大変助けてもらった。ありがたい友人。
 薬用植物栽培についての相談者の来訪と続いた。

 やっと20日に12月の最後の薬証会を開き、毎年恒例1ヶ月間の北海道での冬休みが始まる21日まで、ほとんど何かがある日々だった。 
 上記の12月のいろいろなことは北海道で、吹雪に閉じ込められた時に報告したい。

 みなさん、良いお歳をお迎えください。
 先日の健康診断で、私も一応健康でした。ご安心ください。 
 でも忘れ易く、不注意になった。台湾順天堂薬廠の会議室にPC-PROJECTORの接続コードを置き忘れてきたみたい。

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サンシュユの定植

 今年播種して発芽したサンシュユは直播が220本位、ポット苗が150本位。
 さらに挿し木は木勢弱く、寿命も短く、サンシュユ事業としては利用しないが、比較のために100本余がポット苗として育てていた。

 冬を迎えて、ポット苗が凍結して枯死する心配(杞憂と思うが)で、ポット苗は全て定植することとした。

 18日午後、めたら寒い日、定植作業でサンシュユが枯れなくても作業した人間が病気になれば申し訳なくて延期も考えたが、完全防寒の二人に励まされて実行。まもなく杉本さんも参加。
 高尾棟梁と行正朝光さん、さらに杉本丈美さんの手伝いのお陰で、二百数十本の定植が何と2時間余で終了した。 
 写真は国近さんが耕してくれた畑とサンシュユの苗、左から棟梁、行正さん、杉本さん。

 協力ってすごいの一言。 

 

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陳玉盤先生と

 北海道に来る数日前に台湾順天堂を訪問した。
 今日はゆっくりした時間が取れたので、遅くなったが訪台の報告をする。

 医療用漢方エキス製剤が拡大収載された時、台湾順天堂の製剤も36品目がジュンコウの名で上市された。
 その後、製剤規格の統一指針が(当時の)厚生省から発出され(いわゆるマル漢)、それに合わせて厚生省が「漢方エキス製剤研究班」を組織した。その一員に招かれた時から、台湾順天堂の製剤規格等に関係した。
 その時、毎月訪台し台湾順天堂創業者の許鴻源先生と同社の必安研究所長の陳玉盤先生と製剤規格、製法等で協議することがあった。
 確かに漢方製剤の厚生省の方針を説明することは私の役割ではあったが、人格者であられる両先生の薫陶を受けることが多く、恩師と呼ばなければならない方々である。
 長く訪台の機会もなく、一度お目にかからなければならないと訪台の機会を意識していた。
 その意を察しられたのか、沈重光董事長から研究協議の名目で招請いただいた。
 深夜にチェックインし、翌日、陳先生のご自宅の近くの聚酪堂で台湾料理を囲んで陳先生と歓談する機会を順天堂が作って下さった。
 
 写真: 食後に陳先生宅を訪問して。前列左から陳先生、私、沈董事長、後列左から陳先生の奥さん、順天堂の王雪玪社長、荘博士(1月から新社長)、薛さん(営業部員で中、日、英語の三ヶ国語が完璧)、最後列は佐賀から来られた平野氏(管理薬剤師、社長)と私の同行者で棟梁の高尾氏。

 陳先生は87歳で、少しずつお身体が自由になり難くなっておられるが、日々の散歩を欠かさず、時に研究所に顔を出されているとのこと。
 懐かしくマル漢時代の思い出、エピソードなどを話題にして楽しい時間を過ごさせて頂いた。この機会を設けて頂いた沈董事長に感謝・・・いや・・・多謝、多謝。
 陳先生にまたお目にかかれるまでお元気で。

 翌日(月曜日)は朝10時から順天堂本社で学術交流会であったが、まず私の和気での事業の説明を求められ、次いで最近の日本の漢方事情の話と質疑。製剤承認に関する法規や技術的なことは少しになった。

 確かに学術交流は名目だったようだ。 すっかり甘えてしまった。すみません。
 
 さて、陳先生訪問、学術交流とは別に、薬膳関係書籍の購入、薬膳食材の購入も目的で、卸市場で商店がいっぱいの廸化街に行く。

 ところで私の交流会議の日、同行者の高尾棟梁は一言も中国語が話せないのに、1日中一人でバス、地下鉄を乗り継ぎ、故宮に行き、十分堪能して夕方になって無事に帰ってきた。棟梁は前回の韓国の旅で、言葉が通じなくても出来る一人旅のコツをすっかり覚えてしまったようだ。
 街では日本人観光客に現地の人と間違えられたというエピソードも作ってきた。エライ!!!
 

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順天堂薬用植物園と漢方文化館

 台湾順天堂は創業者許先生が敬虔なキリスト教徒であることから台北のYMCA等、数々の社会活動をされていた。
 
 付属薬用植物園も単に学術目的だけでなく、台湾の児童の教育の場として活用されている。
 荘博士は1月から社長職に就かれるが、本来は原料生薬の品質鑑定に優れた研究者であり、薬用植物園の業務も本職になる。
 夕暮れ近くなった植物園で、荘博士は園内の案内と説明を生き生きとしてくださった。
 
 かなり薬用植物は知っているつもりだったが、珍しい基源植物を初めて目にすることができて感激である。
 彼の説明を聞きながら、学生時代を思い出した。
 彼も、私も、社長職よりも研究者の道が荘博士には適任とは思うが、必安研究所の所長としても手腕を発揮されていたのだから、社長職も問題なく果たせられるに違いない。


 創業期の必安研究所、台湾順天堂の本社と工場、さらに許先生のご自宅などが重慶南路一段にある。
 本社移転に伴い、研究所として実験室、生薬標本や初期の製造機器の展示館となっていたが、近く、発展的に建て直されることとなり、発展的な移転が進められていた。
 私がマル漢で通ったのは、この地。
 会えて懐かしく、発展が嬉しく、別れは寂しい。 また時の移り変わりを実感した。