未分類

運転免許更新

 高齢者講習(ブログ報告済)を終えて、申請していた自動車運転免許が届いた。

 ①は東京にいた平成20年で有効期限も五年。②は和気に来てからだが、今春、免許紛失で再発行されたので写真は半年前のもの。そして③は今回のもので、有効期限は三年間。
 3年後は79歳か。
 
 5年後の「渡来300年記念 山茱萸まつり」まで、もう一回は更新できるように心身に気をつけよう。
 

未分類

薬膳学校-実習:四神湯を作る

 薬膳学校Ⅱ回生の斎藤小班の実習で「四神湯」を作った。
 台北では四神湯の専門店が二四時間営業しているくらい台湾の薬膳の定番である。

 四神湯は「湯」なので、スープであるが、実際は具も多くハトムギのお粥のようにも見える。
 定番処方なので台湾では季節で異なったいろいろな配合のセットで販売されている。


 今回は、当帰、茯苓などは配合されていないので、夏用といえる。
 豚骨のスープを作り、牛豚ミックスホルモンを手に入れて定石通りで四神湯を作った。
 枸杞は飾り。

 

未分類

幸か不幸か・・・歯の
 
 22日土曜日の夕食、牛タンステーキを美味しく食べていたらカチッ。
 出してみると奥歯に詰めた金属が手に。

 
 虫歯は決して少ないとは思わないが、全て治療済みで、幸いなことに抜歯は親知らずが1.5個と奥歯が1本で抜歯の痕はブリッジになっている。
 お陰で「80-20」の線は達成できそうである。

 ところが今年3月23日、1本の詰め物が取れた。
 その時は「いきつけの歯医者」は「予約して一週間後」という。
 杉金の女将の紹介で武内歯科医院で即日対応、ほんの10分余りで終わる。

 もちろん、今回も武内歯科医院さんにと・・・駆けつけると18:00診療終了でOUT。
 土曜日の不運なので月曜日まで待つことになった。
 もし、旅行中なら食事ができず大不幸。
 自宅で幸いと思う。 

 しかし、3月、10月と詰め物の接着剤の耐用年数が尽きて次々に外れる。
 そうなんだ。 
 何ににも寿命がある。

 

未分類

軽トラのチョット旅-1 和気から鞆の浦

 松山の薬証会(10月18日)に行く機会に軽トラの長距離ドライブを試みた。
 和気ICから岡山ICまでは高速道路の山陽道を、岡山-鞆の浦間を国道2号線で走ることとした。
 途中、カブトガニ博物館の看板を見つけて立ち寄ることとした。
 が・・・・月曜日は休館日。

 午後2時に「鞆シーサイドホテル」に到着し、駐車場に入れたら、宿泊客でも4時からのチェックイン時間までは駐車料が要るとのこと。 何か納得できない感。

 鞆の浦の散策をする。
 真っ先に行った鞆の浦歴史民族資料館は月曜日の休館
 街を散策していると保命酒を扱う店が多い。そして製造元(本舗)を・・・・何???? 本店が沢山ある。
 いずこも同じ分家か、パクリか。 みんないろいろ味で勝負しているのだろうなと思う。
 医王寺に登り鞆の浦を見渡す。のんびりゆったりのいい景色だ。
 南蛮寺等のお寺を見て、景色をみて・・・鞆のシンポル「とうろどう」のそばの「いろは丸展示館」に入る。
 あのいろは丸の事件は知っていたが、いろは丸がこの沖で衝突し、坂本竜馬達はこの地で紀州藩と談判し、高額の賠償金をぶん取ったとは知らなかった。 ふう~ん。
森下仁丹の創業者森下氏も鞆の浦のご出身。
 毛利と秀吉の戦いの間で尼子一族再興の戦いに敗れた山中鹿之介の首塚も鞆の浦にある。
 歴史で知り、空想していたいろんなことがあった場所なのだ。

 ホテルの窓からの夕日はきれいだった。

 ホテルは期待に反して夕食、朝食、部屋の設備全てにおいて「5段階評価の2

 今日は付きが無く最悪のこともあった。  
 文章上での歴史を身近に感じた日でもあった。
 
 
 
 
 
  

 

未分類

軽トラのチョット旅ー2 
 
 鞆の浦を発って「しまなみ海道」を通り松山に行く。
 因島の村上海賊(のちの来島水軍)、大三島海賊の跡を訪ねる。
 信長の大坂本能寺の攻防戦で毛利方として活躍した来島海賊で知られ、信長方として勝利した志摩の九鬼海賊は信長から水軍と呼ばれるようになる。

写真は因島の水軍城

 大内氏を下剋上した陶晴賢の大軍を狭い厳島に誘いこんで討ち滅ぼした毛利の戦略「厳島の合戦」は桶狭間の戦い等と共に日本三大奇襲戦の一つである。
 ここで毛利軍を勝利に導いたのが来島海賊の出現である。
 信長と大坂本能寺の木津川口の戦いでは毛利方として本能寺への補給に活躍するが、鉄甲安宅船を新造した信長方の九鬼水軍(志摩)との戦いに敗れた。
 こうして来島海賊は歴史に名を残し、そして村上の名は表舞台から消えた。

 新しい大理石の墓石の並ぶ墓地の前には、素朴な丸石を重ねただけのように見える古い墓碑は、海賊の墓標。
 ひととき、合戦の様子と、その後を思い浮かべる。

 この海の難所も今は美しい橋が連なり「しまなみ海道」として本州・四国間の交通路として、また観光資源になっている。


 大三島に「大漁」という名の海鮮料理店があり、そこの海鮮丼は有名。
 昼食になるように時間を合わせていくと「火曜日・水曜日は定休日
 またまた定休日の呪いが。
 
 大三島の物産店でレジに並んだら、前が若者のグループ、ドライブ旅行らしい。
 ・・・と声を聞くと中国語。
 まさか中国人がここまで来るとは思えない。服装などの様子から台湾かもしれないと思い、「你們是台湾人嗎? (あなた方は台湾人ですか)」と声をかけると、嬉しそうに「対(そうです)」と答える。
 すぐレジの番が来て、別れるときに「一路平安」というとまた嬉しそうに「謝謝」と。
 あの態度は、台湾人と呼ばれたことが嬉しかったからに違いない。

 予定通り松山につく。

 7時30分から松山薬証会を開く。
 医師、薬剤師の方々が26名お集まりいただき,今回も盛会。
 日々の診療でお疲れの所を私の話を聞きに来てくださるのはありがたいことである。
 確かに医療人は医業を続ける限り勉強がやめられない。 ただ尊敬である。
 

未分類

軽トラのチョット旅ー3 
   フェリーと中国道・安芸高田

 松山薬証会を盛会裡に終えて、翌日は朝からフェリー⇒広島⇒安芸高田(泊)の旅
 安芸高田に行く理由は、山陽・山陰ではなく背骨の中国山脈を縦断する自動車道を走りたかったことと、秋高田に湧永庭園があり、薬草園もあるとのことで、その見学である。
朝、松山港発のフェリーに乗船。


 松山-広島間は約3時間のゆっくりした船旅。

 船尾をみて驚いた。
 船首から広がるハの字型の引き波が・・・・無い!! 船首でみてもない。
 えっ・・・・・?? 船底がお盆のように平らなのだろうか。
 荒川でカヌーで遊んでいるときは、引き波に直角に艇を向けないと煽られて転覆する。

 引き波のない船に
しばし感動。

 呉港では、自衛艦が沢山。
 これってミニ空母 ?? そうか、ヘリ空母かな。

[ 湧永庭園 ]

 キョーレオピンで有名な湧永製薬の創業者湧永満之氏の庭園で年中無料公開されている。
 薬草園があると聞いたので行ってみることにした。
 西洋庭園で、特にバラの季節は多くの観光客が訪れるらしい。よく整備されている。
 ただ、薬草園は、整備不足。
 普通の庭園は園芸技術により剪定、刈り込みなどで美的に保つことができるが、薬草園の管理は専門的知識と全く別な視点が必要であり、そのための人材が確保されなければならない。
 その点で、普通の植物園等では薬草園区画を作るが管理が至らないのは仕方ないのだろう。
 薬系の大学の付属薬用植物園ですら、有知識者の存在の有無でピンキリである。

[いろは家旅館ー宿 ]
 湧永庭園のある安芸高田市には宿泊できるところが少ない。
 「いろは家旅館」を予約したが、ほとんど期待していなかった。

 確かに歩くと床が沈む古い旅館であった。
 しかし、歴史を感じさせる落ち着いた佇まいは立派である(昔は「本陣」宿だった)
 部屋は床の間付きの和室だがユニットバスで、トイレはウオシュレット完備。

 80歳を過ぎた女将の料理は夕食は刺身、汁物、はまちのカマ、豚肉の照り焼き、肉とキノコの煮物・・・と豊富で美味しく、朝も十分、食住共にとても満足し、宿泊して良かったと思えた。
 この地方に行く方にはお勧めの旅館である。

 そして歴史の発見。
 あの中国地方に君臨した毛利一族がここ安芸高田の地から始まったのである。
 

 

未分類

軽トラのチョット旅ー4
 中国道を走る

 安芸高田の「いろは家旅館」から津山まで中国道を走り、一般道に降りて和気まで。


 さすが山陽道があり、山陰道があって、中国山脈の間には大きな都市がほとんど無いので、中国道を走行している車はきわめて少ないと言える。
 片道2車線なのでさらに淋しく感じるくらい車は少ないので、

のんびり、ゆったり走れる。

 写真は前後に車の姿も
ない中国道。

 当然、道の両側は森林で、時に町村の小集落が見える程度だから、両側に防音壁は不要で、そのため自然な景色でドライブする雰囲気も良い。

 安芸高田ICから津山ICまでの間に売店のあるSAは2つしかない。
 その1つが「大佐」・・・・むっむっ・・・何だ・・・・ オオサ と読むことが分かってホッとする。

 この中国道の山口寄りに「鹿野」というIC、SAがあるようだ。
 ぜひ、次の機会、山陰から萩への旅で行ってみたい。

未分類

朋 遠方より来る、亦・・・ 王喜軍教授 

 20数年前、笹川財団の日中医学協会の活動の一環として中国より留学生を受け入れた。
 黒竜江中医薬学大学の王喜軍講師。
 既定の留学期間を過ぎて、母国で研究を続け、再度留学してきて博士号を取得した。
 その後、研究室を運営し、研究成果を上げて院士に推挙されるとの話も聞く。
 今は多くのスタッフの働く研究室を運営しながら、副学長の要職も兼務している56歳。

 その忙しい彼から笹川の留学生の大会が東京であり「岡山の先生を訪問したい」との連絡。
 ハルピン⇒東京⇒岡山⇒名古屋⇒東京⇒ハルピンで、今までの中国政府の方針ではこのような長期海外出張は組織要人には認められなかったが時代は少しずつ変化している。

 10月16日、王喜軍教授、夫人および張教授と3人で来訪。

 7月上旬にはハルピンの黒竜江中医薬学大学を訪問してあっているが、他の留学生の消息や最近の活動成果等などで話が盛り上がる。
 王教授はじめ私の研究室で学んでくれた人材が、今は国内外の大学教授はじめ要職で活躍しているが、それぞれの話からは彼らの生きざまが伝わってきて、心打たれる。

 田舎は生きるリズムに合っているが、日曜日は多くの料理店が営業していないのが玉に傷。
 鵜飼谷温泉に泊って頂く。
 
  笹川・日中医学協会の大会には中国全土から600人が集まった様子。 
 後藤新平の遺訓に「・・・人を育てるは上なり」とあるが、中国の留学生がそれぞれの大学や社会の中心となって活躍していて、こうして育てた人が日中の絆は強くなっていく。
 私も「・・・は下」でなくて「・・・は上なり」の役割を少しは果たせたと思わせてくれる。
 ありがたいことだ。

 今の中国の要職にある人たちの多くは、高齢になり退職すれば「子供の時の生活を取り戻して、その頃の貧しい(?)環境で畑を耕して暮らしたい」と思っているとのこと。
 それでも大都市周辺、特に北京周辺では国が土地価格を吊り上げて手に入らず、それも夢になっているらしい。
 私の田舎生活を羨んでくれた。
 そう、これはこれでとてもいい生活だよ。

 

未分類

山茱萸・・・稔りの秋

 今年は昨年以上に山茱萸の果実(正しくは偽果)が多い。
 年々稔りが多くなるのは当然だが、嬉しい。


 もう1ヶ月も経つと落葉がすすみ、もっと鮮やかに果実が晴れやかになる。

 もちろん、木々の成長とともに花も盛り、果実も稔るのが増えるのは分かっているが、やはり嬉しい。

 実は、葉が茂っていて、果実も赤くなっていない時期、稔りの実感がなかったが、果実が稔り、赤変してくると目立つようになった。
 そのうえ、剪定時期ではないが、徒長枝を剪定して果実が目立つようになったためでもある。
 この様子を見ると、来年からは決められた剪定時期に作業しようという気が強くなった。

 花蕾の付き具合も良好。
 まずは来春の花盛りが楽しみである。

未分類

チョット旅

 愛媛県松山の松山薬証会が3回目、秋だし、いつものJRからチョット別ルートで軽トラの旅をと考えた。
 最初は和気⇒広島⇒(フェリー)⇒松山⇒八幡浜⇒九州(臼杵)⇒鹿児島(知覧など)⇒別府⇒(フェリー)⇒大阪南港⇒京都⇒和気のルートを考えたが、阿蘇山の噴火があり、その上に瀬戸内海のフェリーの旅が深夜発の早朝着では瀬戸内海クルーズが楽しめずに変更。
 松山から宇和島経由で高知に回って牧野植物園(知人の水上氏が園長)⇒大歩危小歩危⇒高松⇒和気にしたが、新しい予定が入り、変更。
 和気⇒鞆の浦(泊)⇒しまなみ海道⇒(大三島で昼食)⇒松山⇒(フェリー)⇒広島⇒安芸高田(泊)⇒湧永庭園⇒和気にした。
 湧永庭園はニンニク製剤のキョーレオピンの湧永満之氏の庭園で湧永製薬が管理している。
 杉金の女将ガパンフレットを届けてくれたので、行ってみることにした。
 乞ご期待・・・・なんちゃって。

 昔、サイドカーであちこち走ったことを思い出し、今回の状況では、時間のある時は軽トラの漫遊も考えたい。

 さてさて・・・。