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和気薬膳学校 8月
 薬膳学校は実習室の改修で6月はお休みとなったが、毎月、皆だ楽しく薬膳餃子を作っている。
 8月は暑い日々に口当たりの良い餃子ということで「冷やし薬膳水餃子」に取り組む。

 具材が豚挽肉、キャベツ、韮、葱などの比較的普通であるが、皮は滋養強壮の山薬を入れた。
 餃子作りも経験を積んで非常に上手になり、セミプロの段階と言えるかも。

 今回の冷たい水餃子は韓国風帽子型で、この包方は初体験。
 冷たい口当たりと、皮の出来が良くて大好評。
 今までで一番美味しいという評価。
 2番目は蓮根の餃子。
 今回はKさん提供のトマト、Yさん提供のキュウリやハーブティーがさらに美味しくさせた。
 
 次回9月は夏の疲労や消耗からの回復を意識して「25 南瓜とむき海老の餃子」と決める。



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8月1日

 和気には異常な雨、遅い梅雨が終わり、酷暑が始まる。
 朝6時前に起きて、7時から1時間半が庭仕事。

 通路などに除草剤の散布、高枝の剪定で樹形を整え、草刈り機でサンシュユ林の整地などを無事に終えて当分の仕事は一段落。
 いゃ〜、アツイ。
 スイカと南瓜が収穫できるようになった。

 次は下枝切かな。
 これは涼しくなってからにしよう。
まだまだ除草作業がある。

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トマトチャウダー

 菜園でトマトが豊作。
 そこでトマトチャウダーを作ってみた。
 タマネギ1個、キャベツ小1/3個、ホワイトマッシュ、ベーコンをオリーブ油で炒めて、菜園のジャガイモとトマトを入れて作る。
 なんとなく適当に調理したが、何と・・・!! 
 凄い味、美味に美味。最近に無く感動。
 ただし、量が多くて明日の朝はパン食にしてトマトチャウダーか。飽きるかな。まあいいか。


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生薬標本撮影-1
 台湾順天堂薬廠の依頼で、漢方関係の動画を作成しているが、生薬標本の写真が必須となった。
 順天堂薬廠には必安研究所があり、許鴻源社長(博士)と陳玉盤所長の収集努力で立派な生薬標本が保管管理されていたので、それを被写体にするつもりが、長年の間にかなりが散逸していた。
 そこで未病の里「ビオトピア」に譲渡した生薬標本を被写体にするためお願いしたところ、ブルックスの小川代表の格段のご配慮で生薬標本撮影が実現した。
 7月23-26日の4日間、小田原の未病の里「ビオトピア」で作業する。
 撮影はブリックスがプロの撮影技術者を準備して下さり、台湾順天堂薬廠の日本人社員N氏も作業に参加された。

 5,500もの標本リストはブリックスのAさんが半年掛りで完成して下さっていたが、検索機能が未完のため、177個の箱を一つ一つ開けて必要な標本を探す作業を始める。
 

 私個人は懐かしい生薬標本に再会し、感動していた。
 四国伊予小松の駅前で見つけた日桂(チリチリ)の標本は、おそらく現存する物はこれだけかもしれない。
 そして名前だけ知っていた生薬を初めて目にした時の感動が蘇ってきた。
 長沙の町の薬店の百味箪笥(引出し)に「人中黄(人糞の加工製剤)」の名をに見つけた時の驚きは大きく、その薬局で紫河車(人胎盤)も見つけた。
 もちろん、作成中の動画と関係なく、写真に記録。

 
 
 

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生薬標本-1

 大学に勤務する時、新設大学のため設置基準の「生薬標本の整備」に係って以来、本業とは別に生薬標本を個人的に収集し、標本館に保管していた。
 退職時、その数5,500.
 
 大学を退職時、標本を大学に寄贈する意思に〇〇田学長は「ありがとうございます」と答えた。
 その後、標本館も管理する薬用植物園運営委員会に引継ぎ、新委員会で「標本をもっと学生の目に触れる場に」と相談して、O学長に提案したところ、O学長は「あんなもの、燃やしてしまえ」と答えたと新委員会メンバーから報告を受ける。
 まあ、あのエゾのヒグマを彷彿させる傍若無人の言動のO学長だから、「燃やしてしまえ」発言にしても、大学の現状にしても説明がつかない訳ではないが。
 そこで寄贈せず、全て持ち出すこととした。
 現住地の和気町には「薬草園・薬草館」があり、そこで活用してもらうつもりが、諸般の事情で無理となり、最終的に小田原にある未病の里「ビオトピア」で保管管理して頂けるので譲渡した。
 生薬の流通の関係で、原型生薬はそのまま日本に輸入されることが現在は極めて少なくなり、生産地以外で原型の生薬を見ることは通常は出来なくなってきた。
 その点でも30余年間に収集した生薬標本は、入手不能の貴重な標本になり、ヒグマ学長によって焼却される前に対応出来て幸いであった。
 
 
 



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こだまって・・・。

 小田原の未病の里「ビオトピア」で23-26日、生薬写真撮影を行い、27日に岡山に戻る予定を立てていた。
 しかし、丁度27日昼頃に東海・山陽新幹線と台風6号が遭遇するので、新幹線が止まる可能性が出来てきた。
 運よく作業が26日早めに終了できたので、急遽宿泊を切り上げて新幹線に飛び乗る。
 小田原駅で気が付いた。
 止まった「こだま」が700A系の車両で、「あれっ、こだまってダンゴ鼻ではないのだ」と思う。
 そして乗車した「ひかり」も、名古屋から乗り継いだ「のぞみ」も700A系。
 そうなんだ。
 今はこだまも、ひかりや、のぞみと同じ700A系があるのだ。
 各駅停車と超特急が同じ車両・・・・凄い、日本の技術と、歳を感じる。
 

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老化と戦い
 今から半年位前、足腰が痛み、玄関の段差でガクッと感じ、腰を伸ばして歩けず、物を拾うのに腰を屈められず・・・となった。
 昨冬はスノーボードが出来ず、運動不足の結果かと思いながらも歳を感じた。
 何かある時は鎮痛剤(ロキソニンS、半年間で10錠位)を飲んで抑えたが、さらに夜間尿の回数が増える。
 まさしく老化。
 そこで(かかりつけ医の)小谷先生に八味丸製剤を処方してもらい、さらに台湾順天堂薬廠の「極品 亀鹿膠」で老化に挑戦。



 そして、八味丸と亀鹿膠に託して半年余、特に運動療法等もせず、日常生活であったが、何と足腰の痛みはほとんど感じなくなり、夜間尿も苦痛ではなくなった。

 高知の薬証会は、60人位の広さの会場でマイクなしの生声、2時間立詰めで何とも無く終えている。

 高知の薬証会から戻った翌日の午前中、午後からの雨の前に庭木の剪定作業を普通にこなす。問題ない。
 思えば50歳頃、急に肩が上がらなくなったが、ものの2日位で普通に戻った。
 あの頃は六味丸を服用していたから、早い回復はそのお蔭かもしれない。
 ところで六味丸は中国製の本物の丸剤で、八味丸は医療用「ウチダの八味丸」(クラシエ)だが、他社のエキス剤ではここまで効果は期待できなかったと思う。
 「極品 亀鹿膠」は台湾順天堂薬廠のもの。
 それにしても漢方は「効く時は確実に効く」を実感した。
 




 

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高知薬証会7月
 高知薬証会は、7月で第5回目、参加の先生が知人をお誘いして下さり、現在は30余名にて進行中。
 高知駅に「啄木の父 石川一禎の終焉の地」という石碑を見つける。

 むっむっ。
 石川啄木は知っていたが、その父が活躍されたか否かという点も含めて、そのご尊名の知名度が高いとは知らなかった。
 その啄木の父の、しかも終焉の地に記念碑が建てられているとは、俳句には縁遠い輩にとっては驚き。
 啄木の父とは言え、石川一禎氏が逝去された地に記念碑が建てられる・・・世の中、いろいろなことがあるのだと感心して眺める。
・・・て、石川啄木の生地、そして終焉の地はどこだっけ。
 函館立待岬遺骨が納められた墓碑をみたような記憶が。
 

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畑仕事
 
 避難家族のお向かいのOさんには、可愛いお子さんが男、女、女の順で3人居られる。
 私には3人だが、女、女、男の順である。
 畑仕事を少々手抜きをする気もあって「一緒にやりませんか」とお誘いしたので、梅雨の晴れ間をみて、今日は収穫を兼ねてOさん家族が寄ってくれる。
 保育園でうつったカゼで奥さんと3人のお子さんはダウンされたらしいが、今日はご家族5人で元気な顔。

 胡瓜、トマト、ピーマンの他にジャガイモ堀りをする。
 ミミズを欲しがるのは男の子のYチャンだが、ミミズを掴めるのは女の子のMちゃん。
写真はOさんのご家族

 私の方は、お陰で日々の生活に気晴らしの変化が出来てありがたい。
 私に人見知りしていたMチャンともかなり親しくなれた。

 



 


 

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宮崎のサンシュュ生産

 漢方薬物の90%近くが輸入なので、余生を過ごす一環として生薬生産を試みることとした。
 当初は美作市入田で始めたが、住居の関係で和気に移した。
 しかし、大きな誤算は、開始5年目にして和気の気候風土はサンシュユの植栽適地でないことが分かったこと。
 しかし、宮崎でサンシュユ生産に取り組むKさんから連絡があり、その後、訪問したり、情報の交換をしている。
 この九州南部豪雨のお見舞いメールをしたら、返信に育苗の様子を知らせてくださる。
 緩い傾斜地ではあるが、この畝が水没しないか心配とのこと。
 
 すごい苗の数。この苗圃の面積だけで、和気の植栽地の面積を越える。
 いつか大生産地になることが想像できる規模で、大いに期待できる。無事に豪雨を耐えられるように祈るばかり。